心身統一合氣道 柏原教室

指導員紹介


南 充浩





略歴


1968年(昭和43年)6月17日生まれ

兵庫県尼崎市で生まれ、4歳から宝塚へ。(両親は鹿児島県喜界島出身)

26歳で結婚後大阪府柏原市に在住

現在妻と次女と同居。

長女は結婚し、5月には出産予定


心身統一合氣道での経歴


心身統一合氣道 弐段
心身統一同  初伝

心身統一合氣道への想い

私は中学校3年の時、ひどいイジメを受けていました。

何とか卒業して高校に進学したのですが、イジメにあったことでずっと心に傷を負ったままでした。

ある人数以上の中に入っていくと、動悸が激しくなり、緊張がひどく、心身ともに重苦しい日々を過ごしていました。

このまま生きていくのも辛く感じられ、藁にもすがる思いで宗教に入ったりしました。

しかし、状況は何ら好転することなく、この先もうこんなしんどい感じが続くのであれば、死んだ方がいいと思うようになっていました。

親に話すこともできず、一人で抱え込んで迷路に入り込んだまま、抜け出せず、眠っていても悪夢にうなされる日々でした。

そんなある日、大阪梅田の旭屋書店で、私は運命とも言える1冊の本と出合いました。

当時の私はほとんど本を読まなかったのですが、好きな武道や格闘技の本だけは読んでいて、

いつものように武道・格闘技のコーナーを訪れたところ、、「氣の話」という本がなぜだかとても気にかかり、その場でいっきに読んでしまいました。

(ちゃんと買って帰りました)

そして、こんな世界があったのか?これからまだ私は生きていけるかもしれないと思い、

氣がつくと、私は先ほどとは別人になったかのようないきいきとした心を取り戻していました。

そしてさっそく当時の光心館道場の門を叩き、高校卒業の18歳から合氣道と氣圧学院に入り学ばせていただくことになりました。

そして2年間勉強し、徐々に精神的にも安定していきました。

ただ当時20歳とまだ若く、合氣道よりも他のことに興味が逸れたりもし、いつしか離れてしまいました。

しかし、常に合氣道が心の糧となっていたことは事実で、いつかまた学びたいと思っていました。

その後結婚し、子供が2人誕生しました。

仕事もあり、なかなか自分のための時間を取ることはできませんでしたが、44歳の時、ようやく時間を捻出することができ、氣圧・合氣道の教室に復帰し、稽古を再開することができました。

令和元年5月に指導員に任命していただき、今年6月より地元柏原で教室を開くことになりました。

私は天台宗の開祖である最澄の「一東照隅、万燈照国」(いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく)という言葉が大好きです。

意味は「一人ひとりが自分の身近な一隅を照らすと、それだけでは小さい燈かもしれないが、その一隅を照らす人が増えていき、万の燈となれば国全体を照らすことができる」というものです。

私自身も広い世界からすれば大変ちっぽけな存在ですが、心身統一合氣道・氣圧を地道に伝えることにより、人生により喜びや充実感を感じる人が増えていく一助となればと思っています。
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